調子が変わる
2011年1月31日 § コメントする
今晩描こうとしたらドーサの下書きが無くなっていました。
今回は失敗作が多いので余分に描いておいた紙が無くなって、新しくドーサ液を使った下書きを描くことになりました。
ドーサ液に墨を足すのが足りなくて色味が昨日までのものと変わってしまいました。
日付が変わりましたけど
2011年1月27日 § コメントする
ぼぉーと一日
2011年1月26日 § コメントする
いつもどおりに朝起きて会社に行って、特に何事も起きず仕事が終わって、家に帰って風呂に入って夕食となると、一日がぼぉーとして取り立てて書くこともない。
ということで読んでいる本の話。
井上有一の「日々の絶筆 井上有一全文集」を取り寄せました。アマゾンで良としているものは大概古さはあってもきれいなものが届くのですが、今回は大分擦り切れていました。でもそんなことはどうでもよくなるくらいにおもしろい。
李禹煥の「出会いを求めて」や最近読んだ椹木野衣「反アート入門」に長々と書いてあることが、あっさりと1、2行で書いてあったりして面白い。
龍沢寺宋淵禅師涎ヲ垂ラシテ墨ヲ磨ッテイタ話忘レラレズ・・・というところなど作品を作る者あるいは装置としての作者の有り様というか、面白い話がありました。
何も変わらない
2011年1月24日 § コメントする
入院中に読もうと、引っぱり出していた何十年も前に書かれた「出会いを求めて 新しい芸術のはじまりに」という本に書いてある一節を抜書きします。
「最近、環境公害や情報の弊害について盛んに批判が書かれている。そのなかで叫ばれている合い言葉は、自然を還せであり、もっと具体的な触れ合いが欲しいということである。人間がいかにその住まう場所を侵され、抽象的に生きているかが、自覚されてきたのであろう。という以上に、もはやこれ以上、人間は自らを直接的な世界から切り離していっては、生きること自体が不可能になるのではないかという、恐怖にかられはじめたのかも知れない。・・・」
この本は、初版が1971年です。今からちょうど40年前。
昨日今日、誰かが書いたと言っても通用するように思えないでしょうか。
ただ自覚は希薄になっているような気がしますが・・・。
恐怖は40年後の今でもこれからというところでしょうか・・・。
見ようとして見えないもの
2011年1月23日 § コメントする






