嗜欲のない書
2011年2月18日 § コメントする
今晩のテレビで金澤翔子さんという書家の番組があることを書の先輩から教えてもらいました。
それを見ました。
ダウン症で生まれて母子家庭の中で母親から書を学び、立派な書を書くまでに成長された方の話でした。
般若心経を書いたものが映ったときには、お!、と思いました。
書家がそれを評して誰にも書けないと言っていましたが、誰にも書けないという以上に一瞬で飛び込んでくる何ものかがありました。テレビに映っている小さな画面の中なのですが。 井上有一が「メチャメチャ、デタラメニやっつけろ!」と言って書いているのとは違います。 その意識すらないところで書いているようですから。
前に読んだ「反アート入門」という中に、矢代幸雄著「水墨画」という本が紹介されていてそれを読んでいるところですが、ちょうど同じような心の有り様の話がありましたので引用いたします。
中国の荊浩という人の「筆法記」の話の中で
「華すなわち外形の美と、実すなわち内面の真と、の区別をよく認識することが、最も画道に肝要であって、華をもって実と勘違いしてはならぬ、外形を似せただけでは真は得られない、従って画ではない、と警告するのである。・・・・・中略・・・・・似とは形だけを得てその気を遺したもの、真とは気と実質とともに盛なるもの。およそ気が外形美にのみ拘着して、物象自体から脱けてしまうと、物象は死ぬ、画にはならない、というのである。」
水墨画の話ではありますが書でも何でも、すべての芸術、アートに通ずる話ではないでしょうか。
意識と無意識の難しい話になるのでしょうが、ともかく今日のテレビに見た書は大したものでした。
シゲティのバッハ無伴奏バイオリン
2011年2月16日 § コメントする
これも井上有一の「日々の絶筆」の中に書いてある話ですが、ある日酒を飲んで気持ちよく書いたことがあり、2枚書いたら書く場所がなく、酔っぱらった元気をもてあましレコードをボリュームいっぱいにしてかけたそうです。最初、姿三四郎をかけてがなりちらし、次にオリンピックのマーチをかけて、足をふみならし両手をふって四畳半の中を歩きまわったそうです。そして心も静まってシゲティのシャコンヌを聴き、すべての空しさの中にあわれな自分の姿を見たとあります。
バッハの無伴奏バイオリンはパールマンのCDを持っていて、その美しい演奏を聴いていました。
すべての空しさの中にあわれな自分の姿を見る!。 よし!、ということで探すと古い録音だからか安く売っていました。
なんだ、このごつごつした演奏は!
腰が治ったら酔っぱらって聴いてみよう!
夜になって雪
2011年2月14日 § コメントする
朝はぎっくり腰でほとんど歩けない状態の体を病院まで運んで、レントゲン写真を撮ったり、痛み止めの注射をしたりでした。一日おとなしく体を横にしていたら、痛み止めの注射や薬が効いたのか自立できるところまで回復しました。
こうなってくると、もう2、3枚展覧会用の書を書いてみようかという気になったのですが悪あがきは止めることにしました。
昨日のドローイングは、墨を磨る気力も時間もなかったので書作で使っていた墨汁を使いました。
滲み方が気に入ったので今日も同じ墨汁です。
墨汁は硯で磨った墨より粒子が細かいからか滲み方が大分違いました。
あっ、やっぱりまだだめです。 座っていたのでまた調子悪くなったきたみたい。
夜になって雪。 玄関を開けてみたら外が真っ白になっていました。
今度はほんとに大分積もりそうです。
結果異常なし
2011年2月9日 § コメントする
準備室というところで8時過ぎに検査の説明を受けて腸内洗浄のためのニフレックという液体を飲み始めました。
テーブルには2リットルの液体とコップが置かれてあって、それを飲んでは便所に行って排泄し腸内をきれいにするのです。
部屋には12名いて壁に向かってその液体を黙々と飲んでは排泄を待っているわけで、それはちょっとコミカルでもありますが、異常が見つかる可能性が自分も含めてあるかと思うと、とても憂鬱な部屋であることは間違いありません。
そんなことで検査が始まって結果は特に異常なし。
ほっとして帰って来ました。
腸のイメージのようにも見える今日のドローイング。
今までにない筆運びになりました。






