去る人

2011年10月31日 § コメントする

今日で会社を去る人が1人。

7年間勤めていたということを聞いて、そんなにいっしょにいたんだと改めて時の経つ速さを思う。

まだまだ若い人だから新しい世界に転職するのだが、そんなことを出来ることがうらやましくも思えた。

判別の難しさ

2011年10月30日 § コメントする

昨日、コケの写真として載せたものは、コケ植物ではないかもしれない。
少なくとも4番目は地衣類のハナゴケ科で、ヒメレンゲゴケかも。

コケ植物は3枚目だけか?。
いや、それも怪しい。

 

ひとりでなければ

2011年10月29日 § 2件のコメント

今日は1人ではなかったので立ち止まって写真を撮るのが難しかった。

それでも少しだけ撮れたので見てください。
蘚苔類ではないのがあるかも知れませんが悪しからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、GH-1とCanonレンズの組み合わせは使い難いカメラだった。

明日の用意

2011年10月28日 § 3件のコメント

 

明日は久しぶりに伊豆が岳、正丸峠の宴会コースだ。
飲料、非常食は準備万端。
飲み足りなかったら、峠の奥村茶屋がある。

もちろんコケも見てきます。

 

道端に注目

2011年10月27日 § コメントする

池袋の街の道端を見つつ歩く。

時々、立ち止まったりして見ていると警官の職務質問を受けるのではとかチラッと思ったりしながら、「ホソウリゴケとか銀ゴケとかなんだろうか、まあみんなまとめてアーバンモスだ」とか思いながら歩けるのは面白いものです。

10年ほど前に俳句にはまった時は、一年中季節を見る眼になっていました。
今は路上に視線が落ちます。

 

風が冷たく感じた

2011年10月26日 § コメントする

昨日が暑かったからかもしれないけど、今日の帰りは風が冷たく感じられた。
やはり冬の訪れかなと感じる冷たさだった。

 

ネルケン

2011年10月25日 § 2件のコメント

 

高円寺にあるネルケンという喫茶店に入った。

38年ぶり。

フォルム洋画研究所というところで絵を描いていた頃、数回入ったと思う。
とにかく金が無く、身も心もよれよれで絵を描いていた。だから滅多に喫茶店なんかに入ることはできないけど、近くにあったネルケンは金があったら入りたいところだった。

仕事の客先が高円寺に移転したので高円寺に行くようになり、昔うろついていた所などを思い出しながら歩いていて、絵を描いていたフォルムはもう無かったけどネルケンはあるのを前に見ていました。

今日は時間も少しあったので入ってみました。
入ると誰もいないのでしばらく座っていたのですがそれでも店主が出てこない。声をかけてみたけど出てこない。それからしばらくして店主らしき老女が現れた。うつくしく年を取られている、なんて思いながらコーヒーを注文したのでした。

淡々と

2011年10月24日 § コメントする

堀尾貞治さんの会場で、このドローイングが1000枚になったら画廊に並べて見てもらおう、なんて口走ってしまったけど止めた。

今、既にいろんな人に見てもらっているのだし、色気を出さず淡々とやるのがよろしい。と、そう思い直しました。

「今日のために、明日のために」というこのブログのキャッチフレーズを「有る前から在るものに向けて」に変えました。毎日のドローイングに即したものにしました。これをテーマにずっと描いてきました。

デコトラの本拠地

2011年10月23日 § コメントする

今日はまた蒸し暑くなった。
飲み過ぎが連続して少し不調。

ペケを無限に描いても同じ形のペケは描けない、なんて勝手に思ってまたペケを描いた。
毎日ペケを描き続けるということも、ひとつの方法かもしれない。

あの派手な装飾を施したトラック、デコトラが八戸発祥ということを昨日、堀尾貞治展に来ていたスー・ハイドゥーさんに教えて貰いました。

スー・ハイドゥーさんはそのデコトラに関わるアーティスト。メルボルン生まれで日本語ぺらぺら。デコトラ ヨイサーというコラボレーションの様子はこちら

スーさんはきっと日本人より日本をよく知っているのだろう。

 

あたりまえのこと

2011年10月23日 § コメントする

 

夕方から堀尾貞治展のオープニングに参加していました。
堀尾さん、元気。

堀尾さんの作品はこのオープニングに行かないと一番面白いところを見ることができない。つまりオープニングのパフォーマンスで作品が完成しているのだ。

アとホ、スとキ、というのがあって、それはその場にいる参加者が二手に分かれてア〜とホ〜を大きな声でいうのだ。同時に発声するものだから当然アホともスキとも聞こえない。

一瞬にして闇、というのがあって、それは画廊の照明スイッチを切るだけ。夜だからそら闇になるでしょ。そのあたりまえのことがその場に参加している者にとっては電気のスイッチを切ったら照明が消えて闇になるという意識を憶えることになる。

 

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