気持ちは早く田舎で暮らしたい

2012年9月8日 § 2件のコメント

朝から夜の遅くまでパソコンに向かって仕事をしても、それを田舎の山の中でできればどれほど気持ちがいいだろう。
そんなことや、残りも見えてきた生きられる時間を思うと最後は自分の思いどおりのことをしてみたくなるのはだれしものことと思う。
奈良の山奥の田舎が好きなのだ。
今の村人はもう歳で、欠かさずやっていたお盆前の村の掃除もしなくなった。
夏休みで帰った時に道の草を抜いたりして掃除していたら、だれも通らないし見るものもいないからそんなにすることはないと言われた。
後数年したら村はどれほどの人数になっているか。
それでも好きで早く住みたいと思う。
一人でもいい。

しかし、少なくともあと5年は許されないだろう。
その頃帰ったら、体力的にまた条件が変わって思うようにいかないかもなあ。

 

庭のカネタタキ

2012年9月6日 § コメントする

たぶんカネタタキなんだろう。
チン、チン、チンと鳴いています。

いまは、いまではないものによって、いくらでも相対化される。
「カッコの気配」蜂飼 耳 (図書 8月号)から引用。

いまを相対化されるものとするなら、当然いまは相対化するものにと変わっていくもの。
暑い暑いと言っている残暑もまもなく終わる。
虫の鳴き声が寒い風の音に代わるのもあっと言う間だ。
相対化される今年の夏も相対化された夏になり、相対化する夏になる。
日々もまた然り。

昨日の閲覧者の方はお二人

2012年9月6日 § コメントする

昨日はこのブログにいらした方はお二人のようでした。
ありがたいことです。
毎日必ず見てくれる人がいる。
ますます続けて描く気持ちが強くなります。
毎日続けるというのはめんどくさいことです。
でも食事をするように考えれば、腹がへるように考えれば、と思いますがやはりめんどくさいものです。
考えるからめんどくさい。
まあ、そんなとこかな。

このドローイングもだんだん見られるという意識が薄くなってきました。
そうすると別に色気を出さなくてもいいし、気も楽になります。
別にネットで見てもらうことだって重要ではなくなってきます。
昔はインターネットなんてなかったし。

基本は一人であることは間違いないことだし・・・。

筆、といっても蔓から作った筆だけど

2012年9月5日 § コメントする

 

今日は筆を変えた。
山で拾ってきた蔓を叩いただけの筆だけど、普通の筆ではこんな線は描けません。
山の恵みに感謝。

 

橋下市長に対する意見に共感

2012年9月4日 § コメントする

岩波書店の「図書」8月号に「三毛猫ホームズの遠眼鏡」という赤川次郎さんの連載があります。その中の橋下大阪市長に対する意見に共感しましたので引用します。

クラシック音楽や文楽への補助金削減を見ても分かるが、橋下氏は「敵に回しても自分の人気に影響ない」ところを選んで槍玉にあげて攻撃する。「補助金がなければやっていけないものはなくなってもいい」というのが主張のようだが、クラシック音楽も文楽も何百年の歴史を持っている。今、もてはやされているAKB48にいくら客が入っても、何百年もの間に、ベートーベンや近松を愛した客に比べれば、わずかなものである。
一国の文化の水準は「長く愛され続けるもの」をどれだけ大切にするかで決まるものだ。

堂島にあった大阪府立現代美術センターにしても閉鎖したのは橋下氏だった。
現代美術を愛する者の数を敵に回しても影響は無いに等しいかもしれない。
むしろそういったものに興味がない者の賛同を受けて得票数が増えるかもしれない。

9月2日

2012年9月2日 § コメントする

8月も終わり、9月。
月がきれいで、虫の鳴く夜。
秋ですね。

上野から浜松町まで

2012年9月2日 § コメントする

今日はめずらしく行動的な1日だった。

会社に忘れた資料を取りに行き、
上野の博物館に「青山杉雨の眼と書」を観て、
浜松町のホテルにFB友達に会いに行く。

最終的に飲み過ぎたわけで、描いたものの寝てしまった。

月がとってもきれい

2012年9月1日 § コメントする


私が住んでいるところから見る今日の月はとてもきれいです。
虫も鳴いていて、蒸し暑さがなければ情景は秋です。

ふと開いた本にある歌に惹かれました。

手を洗ふ水のつめたきに今朝の秋や
身を省みて虔しくあり
木下利玄

立秋の朝の歌。
水の冷たさを感じて自分を省みるなんてなかなか鋭い。
まねをするにもそういう感性がないなあと思った次第。

Where Am I?

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