昨日は銃砲店に寄りました。鉄砲ずらり。

2013年8月30日 § コメントする

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狩猟免許。銃砲所持。
動物と人との共存の一線。しばらくこの辺の問題でいっぱいになりそうです。

例えば、自分の話。
田舎は人の数より鹿の数が多い。
鹿は何でもかんでも食ってしまう。
アライグマは何匹いるかもわからない。
人は畑も家も網で囲って住んでいる。
動物から見ると人は囲いの中に住む動物だ。
鹿は増えると、食料に困った鹿が杉の木の皮まで剥いで食べてしまう。
しかし、年に3回しか帰らない自分は、その敷地の草を鹿が食ってくれるから草刈りの必要がほとんど無い。
こちらとしては2頭程度が許されるところだろうか。
勝手だけど、鹿を放って置いたら山も枯らしてしまう。

 

台風接近のためか蒸し暑い朝です

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8月28日のドローイング

2013年8月29日 § コメントする

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8月27日は、今日でした

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昨日と今日はよく似ている

8月26日は昨日でした

2013年8月27日 § コメントする

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今日は壁と向かっていた

2013年8月26日 § コメントする

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仕事で本当の壁と向き合っていたわけで、精神的なものではありません。

あ、雨が降ってきました。

壁を立てていました。
縦2.1メートル、横4メートルの壁を見ていたらむずむずしてきました。
「ああ、これに描けたらなあ!」
と、思わず口に出していました。

朝方の雨も上がりました

2013年8月25日 § コメントする

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思わぬ線が生まれて、それを消すように重なる鈍重な滲み。
変化していくところが、面白い。

作品に意図はあるかどうかということ

2013年8月24日 § コメントする

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このドローイングに関して言えば、やはりない。
あるとすれば毎日描くこと。
変化を観察することができる。

FBで酔っぱらって書いた話があるので、しかも長いので、ここでも紹介したいと思います。

今日、FBFの方がアート作品の意図について話しておられて、それに対して私は意図があって生まれるものではないとお答えしました。

その後、もっと整理してお答えすることができないかと昼酒にしびれて通常よりさらに悪くなった頭をひねっていました。

今から34年前、1979年に大阪の万博跡地にあった国立国際美術館で荒川修作展を見て、頭の悪い自分は、その理屈っぽい頭の良い人しかわからないだろう的な作品を目の前にして感動したものです。

そして写真の左のカタログは東京の池袋西武美術館で1988年に開かれたときのカタログです。

一番右は1996年に発行された現代思想の荒川修作夫婦の特集版です。
440ページほどあります。
1ページもちゃんと読んでません。

1979年の講演会は面白かったです。
今でも覚えています。
「言葉は宇宙が生まれる前からあったのだ」とか
その場の人との距離を無限大の距離だとか。
聞いていたおばちゃんが突っ込んで「目の前にいるのになんで無限大やの?」とか言っていましたけど、「初対面やし、まあそうやろうなあ」と。

荒川修作は人の知恵や意識を作品にするデザイナーに反転して、それを語ることができるのが当時の美術評論家という図式になったように思います。
今見るとどこか無理があるように思うのは頭が酒でしびれているからでしょうか。

長々となり荒川修作の話とずれまくっていますが、今日の話をわかりやすく言うと、
「意図を持って生まれてきた人はいない」
意図は目的を持ったときに初めて生まれるもので、いわゆるアート作品の切っ掛けに意図はないはずです。
もっと言えば、「自分が生きていることがアートだ!」と言い切ることも出来るわけです。
なんか矛盾してるかも。
ということです。

余談ですが、荒川修作から受けた影響でブループリント(早い話が青焼き)をまねて、当時儲かった毛皮屋さんが作った一席賞金300万円という全国公募のエンバ賞美術展第一回展に出品しました。
落選でした。
第2回展は入選(平入選で賞金なし)しましたけどね。
(これが言いたかったか)

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

眠くなってアップするのが翌日になってしまうことが多くなりました

2013年8月23日 § コメントする

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縦に落ちていく方が手の動きも楽です

8月21日のドローイング

2013年8月23日 § コメントする

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Where Am I?

ドローイングでちょっと8月, 2013 のアーカイブを表示中です。