作品に意図はあるかどうかということ

2013年8月24日 § コメントする

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このドローイングに関して言えば、やはりない。
あるとすれば毎日描くこと。
変化を観察することができる。

FBで酔っぱらって書いた話があるので、しかも長いので、ここでも紹介したいと思います。

今日、FBFの方がアート作品の意図について話しておられて、それに対して私は意図があって生まれるものではないとお答えしました。

その後、もっと整理してお答えすることができないかと昼酒にしびれて通常よりさらに悪くなった頭をひねっていました。

今から34年前、1979年に大阪の万博跡地にあった国立国際美術館で荒川修作展を見て、頭の悪い自分は、その理屈っぽい頭の良い人しかわからないだろう的な作品を目の前にして感動したものです。

そして写真の左のカタログは東京の池袋西武美術館で1988年に開かれたときのカタログです。

一番右は1996年に発行された現代思想の荒川修作夫婦の特集版です。
440ページほどあります。
1ページもちゃんと読んでません。

1979年の講演会は面白かったです。
今でも覚えています。
「言葉は宇宙が生まれる前からあったのだ」とか
その場の人との距離を無限大の距離だとか。
聞いていたおばちゃんが突っ込んで「目の前にいるのになんで無限大やの?」とか言っていましたけど、「初対面やし、まあそうやろうなあ」と。

荒川修作は人の知恵や意識を作品にするデザイナーに反転して、それを語ることができるのが当時の美術評論家という図式になったように思います。
今見るとどこか無理があるように思うのは頭が酒でしびれているからでしょうか。

長々となり荒川修作の話とずれまくっていますが、今日の話をわかりやすく言うと、
「意図を持って生まれてきた人はいない」
意図は目的を持ったときに初めて生まれるもので、いわゆるアート作品の切っ掛けに意図はないはずです。
もっと言えば、「自分が生きていることがアートだ!」と言い切ることも出来るわけです。
なんか矛盾してるかも。
ということです。

余談ですが、荒川修作から受けた影響でブループリント(早い話が青焼き)をまねて、当時儲かった毛皮屋さんが作った一席賞金300万円という全国公募のエンバ賞美術展第一回展に出品しました。
落選でした。
第2回展は入選(平入選で賞金なし)しましたけどね。
(これが言いたかったか)

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

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