有る前から在るものに向けて
2015年6月21日 § コメントする
2015年6月19日 § コメントする
ほころびを繕うつもりがほころびを広げて取り返しのつかないことになる場合もあるでしょう。 今の政権が躍起になっている安保関連法制もそのひとつに思います。 これはほころびを繕うための布を間違えているようなものです。絹の生地のほころびに麻布をあてて直そうとしているようなものにしか思えません。
2015年6月18日 § コメントする
線が密になっているところはごまかすためにそうなってしまったということがあります。 気に入らない線を描いてしまってそれに重ねるようにして描く線がありさらにそれを補うように重ねて描く。 だんだん線で塗りつぶされていって元のちょっと気に入らなかった線の存在がうやむやになるわけです。
都市に人が集まるのも同じような事かもしれないと思いました。 一つのほころびを埋めるためにまたほころびを重ねる。ほころびを作る人がいてそれを分からないようにするというためのほころびを作るという人がいて、人ががどんどん集まってくる。 最後は真っ黒になるしかない。
2015年6月17日 § コメントする
記憶で描かれる線の方が圧倒的に多いように思う。 それがいつ記憶として定着したものなのか。
2015年6月16日 § コメントする
2015年6月15日 § コメントする
一昨日の酒がまだ響いています。 このドローイングを大きい紙に描く機会を与えて貰っているのになかなか掛かれません。 しかし、12時間もよく飲んだもんだと自分でも感心します。
2015年6月14日 § コメントする
大分酔って帰ったのでした。 池袋から電車に乗ったことが記憶から抜けています。 そのくらいですから昨夜の線は作為の全くない線であるはずです。 なのに画面を意識したような線の配置はどういうことなんでしょう。
2015年6月13日 § コメントする
今朝は蒸し暑い朝です。 少し動くと汗が出ます。 ポットで作っている胡麻と唐辛子の苗を何本かプランターに植え替えました。 いつも思いますが胡麻のような小さな種でも芽が出て大きくなるのですから驚きです。5,6センチの小さな苗でも少なく見積もって種の数百倍の体積にはなっているでしょう。胡麻は初めて作るのでどんな姿形になるのか、花はどんなだろうと大きく育つのを楽しみにしています。
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