有る前から在るものに向けて
2015年8月23日 § コメントする
この絵の題は何ですか?と聞かれ、題?、何だろうと改めて思ってしまいました。 自分の一日に題を付ける、そんなことに近く思えるのです。 仮にそれをこの絵の題名にすると見る人は題名とドローイングの間を行ったり来たりするのでしょうか。題になった言葉のイメージを探ろうとするのでしょうか。どういう見方があるにせよ言葉によって見方が制限されてしまうようでは題は不要に思います。 でも、最初の頃は一枚ずつではありませんが付けていました。
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