12月27日のドローイング

2016年12月29日 § コメントする

161227のドローイング
朝忙しくて一日遅れになりました。
墨を磨る元気がなかったので墨汁を使っています。

太かったり細かったり点のようになったりしていますがみな無意識でそうなったのではないということです。
極めて短い一瞬のような時間の中で最初に描く線、次ぎに描く線をどこに描くか、どのように描くかを決めています。それをほとんど考えることなく決めています

なぜそのようなことが出来るのか。

墨が足りなかったけど

2016年12月27日 § コメントする

161226のドローイング
それはそれなりになるものだという結果でした。
細くかすれて消え入るようでいいではないかと。

12月25日のドローイング

2016年12月26日 § コメントする

161225のドローイング

12月24日のドローイング

2016年12月25日 § コメントする

161224のドローイング
これは15回。
この回数を何の回数として言えばいいのかと思っています。
描く回数でしょうか。
墨を付ける回数でしょうか。
紙に対する作用の回数でしょうか。
まあ、その内気に入る言葉が見つかるでしょう。

12月23日のドローイング

2016年12月24日 § コメントする

161223のドローイング
にじみですらその程度ぐらいまでは思い通りに滲ませることができます。
紙の質や墨の濃さで好みのにじみを作ることができます。
かすれるところもある程度はねらったかすれに具合にすることができます。
そういうところを紙と墨のその時におまかせにすると偶然というような話になるように思います。

ここに学ぶべきものがあると思った「自閉症の僕が跳びはねる理由」

2016年12月23日 § コメントする

161222のドローイング
例えば自分の指が意識しなくても思い通りに動くことを生まれながらに知ることがなかったとしたらどうだろう。
そのような疑問について(疑問に思うかどうかは別にして)この「自閉症の僕が跳びはねる理由」の中に著者である自閉症の栗田直樹さんは書いています。

時間について書いてあるところがありますので抜き書きします。

「34.時間の感覚はありますか?

ずっと続いているのが時間です。だからこそ、はっきりした区別がなく、僕たちは戸惑ってしまうのです。
時間の感覚がずれていたり、つかめなかったりするのはどうしてかと、みなさんはおもわれるでしょう。
僕たちにとって時間は、例えば行ったことのない国を想像するくらい難しいことなのです。
以下略 」角川文庫 自閉症の僕が跳びはねる理由 東田直樹著より

私たちにとっても「行ったことがない国を想像する」よりもっと難しいことですが、時間とはあなたにとって何ですか?と訊かれた時にこのように自分なりの時間の観念を答えることができるでしょうか。

12月21日のドローイング

2016年12月22日 § コメントする

161221のドローイング
くねっとしたところも手の動きに任せて出来たものではありません。
無造作な動きのようでも意識が入っています。
この場合、21回の意識があるということです。

あたりまえということを考えてみること

2016年12月21日 § コメントする

161220のドローイング
あたりまえのことはあたりまえか。
あたりまえのことはなぜあたりまえなのか。
あたりまえのことはそもそもあるのかどうか。
あたりまえのこととはどういうことなのか

意識せずに、思いがけずに出来た特異な部分。
が出来ました。

勝手に出来ているものでないことは確か。

2016年12月20日 § コメントする

161219のドローイング
どんなに無造作に見えても画面は無意識に出来ていないということ。
必ず意識されているものがあり作られているということは確かなことでしょう。

12月18日のドローイング

2016年12月19日 § コメントする

161218のドローイング17回。
描く回数と出来てゆく画面にここまでと満足する感覚に関係は薄いようです。
そう感じます。

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