12月23日のドローイング

2016年12月24日 § コメントする

161223のドローイング
にじみですらその程度ぐらいまでは思い通りに滲ませることができます。
紙の質や墨の濃さで好みのにじみを作ることができます。
かすれるところもある程度はねらったかすれに具合にすることができます。
そういうところを紙と墨のその時におまかせにすると偶然というような話になるように思います。

ここに学ぶべきものがあると思った「自閉症の僕が跳びはねる理由」

2016年12月23日 § コメントする

161222のドローイング
例えば自分の指が意識しなくても思い通りに動くことを生まれながらに知ることがなかったとしたらどうだろう。
そのような疑問について(疑問に思うかどうかは別にして)この「自閉症の僕が跳びはねる理由」の中に著者である自閉症の栗田直樹さんは書いています。

時間について書いてあるところがありますので抜き書きします。

「34.時間の感覚はありますか?

ずっと続いているのが時間です。だからこそ、はっきりした区別がなく、僕たちは戸惑ってしまうのです。
時間の感覚がずれていたり、つかめなかったりするのはどうしてかと、みなさんはおもわれるでしょう。
僕たちにとって時間は、例えば行ったことのない国を想像するくらい難しいことなのです。
以下略 」角川文庫 自閉症の僕が跳びはねる理由 東田直樹著より

私たちにとっても「行ったことがない国を想像する」よりもっと難しいことですが、時間とはあなたにとって何ですか?と訊かれた時にこのように自分なりの時間の観念を答えることができるでしょうか。

12月21日のドローイング

2016年12月22日 § コメントする

161221のドローイング
くねっとしたところも手の動きに任せて出来たものではありません。
無造作な動きのようでも意識が入っています。
この場合、21回の意識があるということです。

あたりまえということを考えてみること

2016年12月21日 § コメントする

161220のドローイング
あたりまえのことはあたりまえか。
あたりまえのことはなぜあたりまえなのか。
あたりまえのことはそもそもあるのかどうか。
あたりまえのこととはどういうことなのか

意識せずに、思いがけずに出来た特異な部分。
が出来ました。

勝手に出来ているものでないことは確か。

2016年12月20日 § コメントする

161219のドローイング
どんなに無造作に見えても画面は無意識に出来ていないということ。
必ず意識されているものがあり作られているということは確かなことでしょう。

12月18日のドローイング

2016年12月19日 § コメントする

161218のドローイング17回。
描く回数と出来てゆく画面にここまでと満足する感覚に関係は薄いようです。
そう感じます。

なぜここで筆を止めるか、ということ。

2016年12月18日 § コメントする

161217のドローイング
ここまで。
そう自分が決めさせるあるいは決めるのは何か。
このところずっと描く回数を数えています。

やぶれてしまった

2016年12月17日 § コメントする

161216のドローイング

12月15日のドローイング

2016年12月16日 § コメントする

161215のドローイング
描いた後に回数をすぐに書かなかったので何回か分からなくなりました。
たぶん30回ぐらいだったか。

 

12月14日のドローイング

2016年12月15日 § コメントする

161214のドローイング
30回。
回数もあまり関係ない話になってきました。
では、何でしょう。
画面を決めるものは。